2013/07/18

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The Long Tail: Why the Future of Business is Selling Less of More



先に述べておくと、全体として2006年に発売された内容が全く古くなっていないことに驚くばかり。
順調に、ロングテールの市場が広がっている。
ただ、ここ日本においては、まだまだ広く理解されているとは言い難い部分もあると思う。

この本から学べる事はもっとあるはず。また時間を置いて読み直し、考えたい。

以下読書メモ。

p.26
おおまかに見れば、明らかにロングテールというのは潤沢の経済の話なのだ。文化の需要と供給の間にあるボトルネックが消え、みんなにすべてが手に入るようになったときに起こることだ。

「ボトルネックのない世界」にハッとした。今まで、制約条件は?ボトルネックは?それをどう制御・最適化するか?ということを考えていたし、それはすべてに当てはまることだと思っていた。しかし、それがない世界がすでに存在している。そしてそこでは、「すべてを供給する」という答えがすぐそこにある。

p.49
そのマスメディア技術があらわれたのは一九世紀中頃から後半にかけてである。まず商業印刷技術が発達し、広く普及した。それから新しい湿板写真方によって写真が人気を集めた。そしてついに一八七七年、エジソンが蓄音機を発明する。これらの技術ははじめてポップカルチャーという流れを生み、(中略)メディアを支えていく。

p.52-57
ポップアイドルの誕生から大ヒットの終焉までザクっと解説。
特に気になったのは、
p.56
歴代ランキングの上位一〇〇タイトルのアルバムのうち二〇は一九九六年から二〇〇〇年の五年間に出たものだ。その後の五年間につくられたアルバムは二つしかなくー(以下略)

p.61
細分化した音楽のニッチ市場それぞれに、例えば四〇〇もの『アメリカン・トップ40』があったらどうだろう。いや四万はおろか、四〇万だったら。ヒットというコンセプトはミクロなヒットにお株を奪われ、一人しかいなかったスターの座に一群のミクロなスターたちが群がる。大衆市場ではエリートはわずかな数しかいなかったが、ニッチな准エリートが無数にあらわれる。「ヒット作」の数は厖大に増え、その一つ一つにたとえ数は少なくとも熱心に応援するファンがいる。

これに懸念を示した大物プロデューサーがいたような。2011年かな?日本の話。

p.64
人気がなくなったのは、音楽ではなく、旧来のマーケティング、販売、流通のモデルである。

本書(原著)が出版されたのは2006年。その時点で、こんなこともう分かってたのに。


p.70
僕たちは大衆市場に背を向け、地理ではなく興味で定義されるニッチの国へ入っていく。

これはすごく実感している。実際、私のオンラインの友人はほぼすべてこの定義に当てはまる。
そして、だからこそ逆に、時にニッチの国から旅に出る必要が出てくる。

p.96
また消費者同士で口コミ情報を交換していると、マーケティングが仕掛けてくる提案より自分たちの嗜好のほうがずっとバラエティに富んでいるのに気づかされる。こうして消費者の興味はさまざまな趣味の世界に細分化していき、そこに同志が集まれば当然のようにますます奥深くそのテーマにはまっていく。

p.107
 結果として、僕たちは受け身の消費者から積極的な生産者へと変わりつつある。しかも、好きだからやるのだ(アマチュアamateurという言葉は、ラテン語のamare=「愛する」が変化したamator=「愛する人」からきている)。

p.122
『ブリタニカ』に「ロングテール効果」は載ってない(でもそのうち載るぞ)が、ウィキペディアにはうまく詳しく書いてあるだけでなく、一五〇〇語もあるのだ(僕はまったく書いてないのに!)。

p.165
広告信仰も広告に投資する組織も元気をなくしつつあるが、個人に対する信頼度は上昇中だ。


p.181
pitchfork mediaがもう取り上げられていた!
(私が知ったのはWired Vol.8)

p.188
たとえば、iTMSはその輝かしい業績のわりにポップ・ミュージック偏重傾向があり(中略)。でもクラシックで「アーチスト」なのは誰だ。作曲家か。オーケストラか。指揮者か。(中略)あるいはもしジャズだったら、バンドよりもメンバー各人の経歴のほうが注目されるだろう。(以下略)

これって今でもそうだよね。JAZZに関しては実際困ることが多い。ミュージシャンで分類する方法がプレイリストを作ることしかできないから。


p.192
必ずしも同じジャンルの中でのランキングでないと意味がないということはないかなと。
むしろ良い具合にジャンルが散ってる方が楽しい。
ただし、同じジャンルのランキングが全くないのは不便だと思う。そういう意味なんだろうか。

p.195-209
ロングテール市場における雑音―S/N比を上げるのはフィルターの役目
前時代の前置(プレ)フィルタとレコメンや検索による後置(ポスト)フィルタ

p.215
ぷつんと切れた需要曲線
100位を超えた作品は何故稼げないのか。→映画館のキャパがないから。
つまり、映画の数という供給に対してそれを上映する映画館がボトルネックとなっている。

p.242
ロングテールはあらゆるメディアの無限に近い選択肢を擁するかもしれないが、人間の注目量と一日の時間はやはり希少だ。

p.277
いかんせんテールにはディズニーのようなロビー活動をする人がいないので、短いヘッドの意見しか聞いてもらえないことが多すぎる。

p.285
「私は何が欲しいんだっけ」という疑問に年中悩まされるし、誰もが容易にそれをじっくり考えられるわけでもない。でもそれを解決するには、選択肢を減らすのではなく、むしろ重荷にならないよう選択肢を整理するべきだ。

p.314
コメディアンで作家のジェリー・サインフェルドが冗談で言っていたけれど、「毎日世界で起こる事件の量が、いつも新聞のサイズにきっちり合ってるなんてびっくりだな」

p.317
自分で何もかも管理できるという幻想を抱かせるテクノロジーは、驚く能力を私たちから奪う危険がある。趣味が洗練されるどころか、一つのことばかり固執して繰り返し、感覚が麻痺してしまう。テクノロジーでつくりあげた小さな自分の世界に閉じこもり、真の個性を認識することは逆に難しくなっていく。

 ローゼンのいうことは正しいのだろうか。僕は疑問だ。実際にはまったく逆のことが起こっているように思える。

個人的な実感として、狭い視野の人、どんどん開拓していく人、両方がいる。


p.318
確かにネット上に完全に信頼のおける情報というものはないので、どれだけの情報源に当たって最終的な判断を下すのは本人次第だ。だから何が正統かは当然決まっているとか、絶対に間違えない組織があると信じて自分を甘やかす時代は終わり、混沌とした情報の渦の中で調べて考えることを要求されるーそうすれば報われるー時代が来たのである。

この言葉すごく好き。